GW① 井上VSネリ

diary person sports

先ほど名古屋から帰宅し、非日常から日常へと脳の転換が少しずつ行われている。かなり濃いGWを過ごした。

GWの前半は普通の休みと、身体を整える感じでダラダラと過ごした。せっかくの休日なのだから有意義に過ごさなくてはならないと変に目標設定すると、少しの無駄な時間もコスパ悪いなという発想になり、かえってストレスを抱えることもある。もちろん、旅行などの計画はきちんとやった方が当日、やることを決めてあるのでスケジュールという名のベルトコンベアに乗ればうまくいく。また、何の予定も組まず、ズボラに生活するのも負担がなくいい場合もある。前半はこのズボラ作戦で生気を養った。

後半のGWは世間が動き出してから、毎年行う旅行があり、それは綿密というかある程度の予定は立てて行う。予定を立てる時点で脳が色々妄想というかシチュエーションを浮かべるので、エクセルの表に予算とすることを記入していくと、かかるコストとタイムスケジュールが視覚化されリアルに感じることが出来る。

本来ならば、すぐにその時思ったことを記帳すれば、より深い洞察というか、より細やかな感情を表現できるのだが、文字化することをサボったため、回想という感じで記帳していく。

最初の衝撃は井上尚弥VSネリのボクシングの試合である。今回もテレビ中継は動画サービスによるネット配信で、事前に見れる環境を作っておく作業があるが、Amazonプライムビデオで観れることだったので、そのあたりは入会済みで良かった。

基本、井上尚弥のやるボクシングの試合はボクシングの奇跡を観るような試合であり、どちらかと言うとアニメを見る感じに似ている。それはKOで決着するというものである。ボクシングマニアではないが、普通のスポーツ観戦で見るボクシングの試合は井上尚弥の試合前にあった、12R判定試合というものが多い。両者、ボクシングのスペシャリスト同士がベルトをかけ戦うのでダウンはあるにしても、なかなかボコボコに殴られてリングに沈む風景はほぼ見れない。両者手数を出し、当てるがダウンするようなクリーンヒットも無ければ、逆にスタミナ力でその攻撃をしのぐ技術、体力、気力があったりする。よって、プロの殴り合いは基本、力が同格(体重)であるので判定になりやすく、実際、判定が多い。

能書が長くなったが、その僅差である試合のボクシングでモンスターの称号に相応しい井上尚弥は圧倒的なボクシング力により、挑戦者をリングに沈めるだけのパンチ、スピード、センス、試合IQがあり、まさに漫画、アニメであるノックアウトの試合がリアルに観れる。その生身の人間の真剣なガチンコ勝負がボクシングであり、よく見れば見るほどそのパワーに呆れる。

巌流島の武蔵と小次郎の試合ではないが、真剣での試合は、一瞬のスリ傷とかのダメージがその後の死に直結する。井上VSネリの試合も、あのスピードパンチでまともにくらったら、すぐ意識がなくなり病院へ直行であろう。それだけ、たかが腕を早く動かす拳の運動だけでも、素人とプロではその破壊力に圧倒的な差が映像からでも分かる。

井上の試合の1Rはたいてい相手の動き、パンチスピード、パンチ力を測るラウンドで慎重な試合運びが多い。そして2R以降、見切ったとこで攻撃に移るシーンが多い。しかし今回のネリとの1Rは井上にしては大振りで、突進していった感じがあった。実際、ネリの出鼻を挫く意味での攻撃的な1Rはネリの闘争心を抑える意味合いもあったと試合後に語っていたが、まさかの左フックダウンに会場、それを観てる全ての人が息を呑むというか、唖然となるシーンではあった。やはり井上モンスター尚弥でもカウンターでのプロボクサーによるパンチはダウンを喫する。

長くなったので割愛するが、その両者のボクシングルールによる殴り合いのシーンに何故か悲哀を感じることになった。闘争心と名誉とか、そして自己表現とか色々あるではあろうが、全身全霊で殴り合う姿に男の立ち位置を不意に感じたせいもある。悪童ネリも果敢に攻め、空振りする大振りパンチと距離を縮め互いに殴り合うボクシングスタイルに男の姿を見たからである。俄然、美しいというか、その瞬間を懸命に生きているとこの人間の姿が見え、悲哀を感じたのである。

6R最後、ロープ際で井上のラッシュ攻撃でゆっくり沈み、戦闘能力0になったネリの目を見て、男の散り際という大袈裟なものでもないが、崩れゆく男の美学を画面越しに感じたのであった。

総括するつもりが井上の試合だけになってしまった。その後の僕にとっての祭は次に書く。