シンガー 堀優衣
カラオケバトルが録画されていて見てみた。前人未到のAI採点100点を目指すという今回のカラオケバトル。ほとんどの出演者が過去の大会で優勝経験もあり、99点は当たり前で、その先の小数点の戦いであった。目指すは小数点000の満点である。
曲の選択も大事で、琴線に触れる曲やそうでない曲もあり、同じ人が歌っているのに印象がだいぶ違う。タイトルの堀結衣ちゃんは本物を2回見たことがある。ショッピングセンターでの正月イベントの時である。マイクから流れてくる普通の会話でも透明感と艶があり、声そのものがプレミア感満載であることに、現場で驚いた記憶がある。
カラオケバトルでその歌声を聞いたのはいつだったか忘れたが、薬師丸ひろ子のWomanであり、確かに音符をなぞる才能と歌唱力があったが、どうも詩をよく理解していないのか、詩そのものが伝わってこなかった。この子は詩の意味を噛み締めて歌えたらさらに上手い歌手になるだろうと当時は思った。
変化は半崎美子のサクラを歌ってるのを聴いて惚れ直した。透明感と伸び、抑揚などシンガーの中のシンガーという王者性が見えた。そして昨日のカラオケバトルでの「トイレの神様」でひとつの極みというか、完成を目の当たりにした。そして、その歌声に昨日の張陽の解説ではないが号泣寸前まできた。なかなか、歌って感動をダイレクトに届けられるシンガーはそういない。
そして言い方は悪いが栃木の芋姉ちゃんからいい女への変化があからさまに伝わり、これが女性特有のゴム状変形、綺麗という単語に表される。単純な僕はインスタグラム、ツイッター、そしてYouTubeチャンネルを即時に登録した。
余談でトイレの神様で語っているトイレを綺麗にすることがあらゆる幸運の道であり、この幸運の行動が人生を間違いなく豊かにすることを実践で感じてきた。ここ5年くらいはトイレブラシでトイレを磨いたことはない。スポンジによる直接の掃除である。直接であると、表面の微妙な汚れが手に伝わってきて、よくゴシゴシする場所とそうでない場所がよく分かる。その話しを知人にするとトイレを直接洗うなんて信じられないという声も聞く。それは、便が汚いという先入観から余計に汚く感じてしまう脳の錯覚にある。確かに最初のトイレ掃除は結構勇気を持ってあたるというか、突撃する感じに近い。しかし、トイレ掃除をする瞬間、便がそこらへんにあるわけではなく、普通に水が張ってあるだけである。そしてその強行突破を続けていくと、まさに自分が洗われてる感じがする。自己洗濯の意味もこのトイレ掃除にある。よくよく考えてみると便はつい数秒前までには自分の体内に貯蔵していたものである。大腸で保管していたものである。もしその大腸で保管していた便が汚いものであるのなら、お前自身が汚いものであろうという悟りに至った。そんな悟りから、トイレ掃除は嫌いではない。自分の垢を落としてくれる一番いい方法がこのトイレ掃除なのだ。一皮向けた人生へ。Just Do It!