同級会

diary person scene

盆休みに小学校の同級会があった。25年ぶりの開催とあったが、25年前の自分は住所不定であったので、その案内はなく、今回、住所が幹事に届き、無事参加する運びとなった。小学校の卒業年であると実に44年ぶりの再会になることになる。

2年前に内輪だけの同級会を開催した経験から、名札を作って参加しないと誰だか分からないという提案に実行委員が動いてくれて、当時つけていた名札をどこからか入手し、その名札にも懐かしさがあった。

僕らのクラスは田舎のクラスであったので、確か30名の生徒2クラスの合計60名前後の生徒の集まりであった。担任の先生も駆けつけてくれて、総勢28名での同級会となった。約二分の一の参加ではあったが、幹事曰くこの月日でこれだけ集まれるのはなかなか凄いことだと語っていた。なるほど、43%の参加率は全国平均よりも高いらしい。そして、来れなかった人間もいたが、全て生存していて、死んだ人間もいないということであった。これも珍しい。

くじによる席順で8番を引いたテーブルに座ることになった。アトランダムによる席順であったが、この歳になるとある種の運命というか、横に座る人間との絆を感じる。中学も同じ中学であったので、実質41年ぶりの顔見せということになる。名札のおかげで、小学生時代の顔がモンタージュされ、その特徴と、現物(実顔)が目の前に展開され、一致する部分に安堵感など抱いたりした。当時、疑問であったことを伝え、その答えを41年の風化から、聞き出したりもした。

もちろん、還暦手前の集まりなので、おじさん、おばさん化は避けられぬとこではあったが、思ったより、みんな元気で若い感じがした。実際、メタボ、腹出たデブもいなく、女性陣も至ってスマートである。それには少し驚いた。山形は冬の間の雪かきがあり、必然的に運動が発生する。その自然相手の運動を半世紀もやっていけば、必然とその手の筋力はつく。実際、僕が身体を作りえた環境はこの雪国独特の必然的な労働にある。気分が乗る乗らないに関わらず、雪は降り積もるので必ず雪かきという労働が優先事項となる。その自然への対応がたまたま半世紀過ぎても各人のメタボを抑制したと思ったりもする。

ほとんどの人間が社会においては中枢を占める逸材ではある。それぞれの専門分野でそれぞれの力を発揮していよう。自己紹介では孫との遊びが楽しいと既に2世代のバトンを渡した人間もいれば、これから娘、息子が結婚する人や、結婚しても子供はいないといった人や、僕のような独身組も少ないがいた。それぞれ、この44年という長い時間を経過し、それぞれの思い出もあろう。そして、見違えるほど変わった同級生に、驚きと興奮、そして当事者しか分からない昔話に盛り上がり、それぞれの家庭に帰っていった。

結構、走馬灯のように駆け巡った4時間ではあったが、実行委員の演出もあり、それなりに楽しめた同級会ではあった。同級会の定義を宿泊のホテルで考えこう結論した。

「同級会とは、利害関係のない机を並べた者たちが、時を隔て相手の変貌に驚きながらも、自分が忘れ去った過去を相手の言葉によって再確認する集まりのことである。」

なかなか、自分でもよくできた名句であると思っている。自分が発言した言葉は全く覚えていないが、それを言われた人間は、しっかり記憶しており、こう言われたと聞き返すことで、そんなこともあった気がすると思い出すのが楽しい。もちろん、いい経験だけを伝えたり、思い出させたりするのだが。

次回の開催は4年後の60歳の還暦らしい。この調子でいけば、皆達者で会えよう。しかし、今日あたりから報道されつつあるコロナワクチンによる被害が天下のNHKでも報道し始め、その副作用による欠席も否めない。次回は年金を貰っている頃なので年金話しで盛り上がるであろう。