GW② トヨタ博物館

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去年に引き続き、トヨタの聖地である名古屋へ車を走らせた。仕事柄、横浜町田あたりまでは行くことがあるが、自家用使用で東名を走らすのは、まる1年ぶりになる。去年、久しぶりに新東名を走って感じたことは、とにかくスピードが出る高速である。さすがの警察も初めての法定速度120km/hを認めた高速道路とあって、全体的に広く、直線である。行きは、朝に到着すればいいので、仮眠をとりながらゆっくり走った。

と言っても飛ばすことにこの歳になっても高揚を感じる自分は、まず抜かされることはなく、基本、追い抜き車線を走ることになる。それで去年も感じたのだが、相変わらず、トラックにしても一般車にしても高速道路の追越車線は追い抜きの時だけ使用するという当たり前の感覚のない輩がまだ現存する。これは自動車学校、警察の指導不足に他ならない。周知徹底させペナルティを課せれば、こういった追越車線でのイライラは減少するのにと思った。煽り運転を取り締まるのなら、こういった基本的な走りを教え込むことが大事である。

昔、ドイツアウトバーンを走るルールを知った。アウトバーンは基本、速度無制限である。ドイツは進行方向が日本と逆なので、一番左車線が追い抜き車線であり、この車線は速度を出せるだけ出して抜く事ができる。YouTubeのおかげで日本のGT-Rがどれだけ安定的に高速をぶち抜いていくシーンがあったりする。右側をゆっくり走るトラックが100km/hだとすると追越車線のGT-Rは300km/h以上であり、実に速度差200km/hである。止まっている車に200km/hで突っ込むことを想像して欲しいが、ゆっくりした車が追い越し車線を走った場合、相対的にそうなる。実際の映像でも2,3km離れた追い越し車線からブレーキを踏み減速するシーンもある。あっという間に追越車線で走っている前車に追いつく。そんなことから、不意に低速の車が追越車線に入ると危険になる。当然、ミラーで後方の車を確認するのだが、たまに後方の車の相対スピードを分からないバカが入り、急ブレーキとなる。速度無制限でも本気の高速は命懸けである。

トヨタ博物館に戻る。相変わらず前置きが長くてタイトルの話しをするのに寄り道してしまう。10年前くらいにここに訪れた。なんかクラッシクカーが鎮座されていた記憶があるが、流石に10年の歳月が流れると、どうであったか思い出せなく、実際、2度目の訪問も初めて訪れる感じに近い。こんな場所にあったか?とゲートに入る前もそう思った。

開店は9時であり、少し早めに着いたので何台かの車も待機していた。その待機車はほとんどトヨタである。ディーラーもそうだが他メーカーに入るときは敷居が高く感じられる。こっちは50プリウスなので余裕というか援護射撃をもらいながら入庫する感覚に近い。

早速、入場券を購入する。あとで知ったことだが、1階は無料で、展示されている車が観れる2階以降が有料エリアであった。たかが数人のチケット購入の列でも、相変わらず、割引だのクレジットで買えるのか?などスムーズに購入出来ない。自販機ですぐに購入しようと行くと一瞬の踏み込みの甘さで外人数人が購入姿勢を見せる。自販機には英語表示もされてあるだろうが、これも時間がかかると判断し、仕方なく例の有人販売ゲートに並んだ。最初から金を用意して訪ればいいものを購入の段階でのうのうと財布をゆっくり開ける輩には毎回、イライラする。ようやく自分の出番になり、1200円と事前に用意した金を差し出すと、割引できるJAFカードがありますか?という不意な問いにあい、すぐさま財布にあったJAFカードを見せ、200円の割引をもらった。慌てる乞食はもらいが少ないではないが、有人販売で良かったのだと改めてちょっとした運に感謝した。

チケットを見せ最初の展示車がタイトルの初トヨタ量産車である。名前は忘れた。当時のフォードとかのアメリカ車と同じく観音開きの車で、馬車のように吊り紐によって防ぐようにサイドに紐が吊るしてあった。コンパニオンが暗記させられた原稿を聞きながら観るのも楽しい。彼女らも黙って姿勢のいいとこを維持するよりも自分の暗記が訪問客の役に立つことを願っている。さすがにこの歳になった親父なので多少の質問をしながらコンパニオンとの対話を楽しむ。すると横に中国人らしきおっさんが楽しそうに話している俺らを横目で羨ましそうに見ている。どうも、そいつはコンパニオンを写真に収めたいらしい。意地悪な俺はそのことを薄々分かりながらも、焦らしながら長話に精を出した。

最初は全車の写真を撮る予定であったが、見たこともないクラッシクカーが相当数あるので全体撮影でやめた。結局、自分が幼少の時、実際に見た車に非常に興味がある。こんな形だったけ?と改めて4,50年ぶりに確認する車はワクワクする。そう既に半世紀経ったことになる。トヨタの名車であるトヨタ2000GT 、セリカ2000GT、日産GT-R(R32)、フェラリー512BB、ホンダNSXなどなど、子供の頃夢見たスーパーカー、普通車が飾られてある。僕の主観ではセリカ1600GTの後ろが丸まった方のデザインがいい。確かダルマってあだ名があったやつだ。たまたまトヨタ2000GTの中古価格を調べる機会があったのだが、2台売り出されてあって、両方1億5千万前後で売られてあった。中古市場にあるんだと驚いたが。

車のエンブレム、図書館がある別館も訪れた。こっちの訪問は初めてである。車図書館で古い本を眺めていると、自分が好きであった「徳田寺有恒の間違いだらけの車選び」などがあり、流し読みするとこれまた面白く、故人となった徳田寺を再確認する意味でその「徳田寺からの伝言」をAmazonで検索するとあり、それをポッチった。こういった出会いは大切であり、このスピード購入できるとこは現代のいいとこ。

徳田寺有恒にいろんな車ジャーナリストがインタビューする内容を収録したものであるが、徳大寺有恒に魅了されるとこが分かった。それは徳田寺が小説家を目指していた舞台裏で多数の本を読書し、その読書量による文体の面白さが分かったからである。そこが普通の自動車ジャーナリストでは発言し得ない奥深さがあったのだと今更ながら感じた。とにかく、独断と偏見でズバッと言う徳田寺節は面白かった。記憶にあるとこでは、キャロルを一言「不真面目な車だ」と断言したとことか、徳大寺の一言で購入する動機になったホンダ、プレリュードの「普段、1人で運転するのにドア4つも要らねぇ」が鮮明に記憶にある。当時、ホンダに傾倒していた自分はトヨタ車の選択肢はなく、当時流行っていた4ドアサルーンのインスパイア、ビガーなどを購入候補に挙げていたが、確かに普段1人乗りでドア4つも要らないと妙に腑に落ちて、デザインが優れているこのプレリュードを買った。結局、20万キロを走り、自損で廃車にしたのだが、初めて購入する車はほんと、面白く胸が昂った。当時は沼津に住んでいたので、東名を爆走し、東京に来たものである。下りの御殿場登りではホンダの名人芸であるVTECが炸裂し、4速、5000回転の最大トルクとなるとこで登りきった、まさに駆け抜ける喜びである。登りはどうしても車のポテンシャルである馬力が絶対的に必要となり、馬力のない車は登りでは顕著に現れ速度が増せない。200馬力を存分に楽しんだ時代であった。

懐かしさと温故知新、そして徳田寺有恒を思い出せる貴重な経験となった。坂庭の名言である「既に生きているだけで丸儲けであるのなら?」を時々自問し、その潜在意識の布石である「前提」が変わり、いい結果を導き出されたのかな?

次回は名古屋に訪れた本当の目的であるイングヴェイのライブについて語る。