阿波踊り

diary scene いなせ連

上京したての頃、高円寺に住んでいた。そこで、高円寺の夏の風物詩である阿波踊りを見た。そこでの印象があり、ほぼ35年ぶりに原点である高円寺阿波踊りを観に行った。そして、阿波踊りが日本の盆踊りの代表である踊りであるという結論に落ち着いた。腹に響く太鼓、永遠リピートである笛のメロディーそして傘に隠れた美人が踊る女型踊りが印象にある。

しばらくは観客として見ていたが、ふと衝動的に太鼓が叩きたくなり、観る者から演る者へとの意識が芽生えた。そして阿波踊りのYouTubeを検索しているとある2歳児の動画があり、その2歳児の天才的な動きとそれを微笑ましく見守る演舞者たちの動向にある感動が生まれた。その動画がこのゆうま君である。何回か見ていると、この動画は中国語にも訳されたり、いろんな人が投稿していた。そして時間を見るとほぼ10年前の映像であった。そこで演奏しているのが草加を拠点とするいなせ連であった。

僕の住んでる足立と草加は隣なので、すぐにホームページを見て参加しようとフォームから応募してみた。神からのインスピレーション、直感に勝る知らせはない。すぐに「体験的に練習を見てください」と返信があり、今日、本日練習風景を見る機会に恵まれた。本場の阿波踊りを椅子越しに間近で見られる貴重な体験となった。応募には小太鼓である締め太鼓を希望し、実際に叩いてみたが、見るのと演るのとは大違いで、右左の腕を動かすだけなのに全くリズムが取れないのに、我ながら自分に呆れるリズム感の無さであった。本当に全くうまく叩けない。半ば絶望感を感じながらも、この最低レベルでは昇るしかないという勝手な希望感も生まれた。勝手にいいように解釈する術は僕の専売特許でもある。

小学生からいい親父まで幅広い年齢層の人々が阿波踊りという一つのベクトルに向かう。それぞれの持ち場をそれぞれが最高のパフォーマンスを演じるために練習するという当たり前の風景に涙が出てきた。小学校の体育館で練習するのだが、この小学生の遊び場である体育館の風景に懐かしさと時代を超えた伝統的な作りにも感動がある。ここが運動の原点であるという場。

サークル、催し物は会があるように、この阿波踊りの一つの団体を「連」という。会には会長、連には連長とそれぞれトップの呼び名があることも初めて知った。同志が増えるということで、迎えてくださる連の方々の温かさもあり、入連することになった。これで、ここ数年の目標が個人タクシー野球大会での優勝、そしてこの阿波踊りでの太鼓叩きというものになった。

太鼓自体はまさに心臓と直結しているビートであり、戦争物では必ず太鼓の音による行進と、人々に勇気と背中を押す響きが太鼓にあると分かってきたのはここ最近のことである。お盆での墓参りの時、寺で聴く太鼓の音もこの歳になって初めて気づく生命の息吹である。そして単調な音のリズムに生命の躍動を与える鳴り物、それが太鼓である。そんなのに気づいたこともあり、演舞者、観客を魅了する日本代々の夏の盆踊り、阿波踊りに今更ハマる理由があるのかも知れない。

毎週、日曜は阿波踊り、月曜は野球と休日を埋めるイベントが見つかった。あとはひたすら楽しく演奏できるまでの練習量だけである。踊り手は楽しそうに見えたが、演奏者はそんなに笑顔でなかった印象うもある高円寺阿波踊りであったから。