冬季北京オリンピック2022 終了
Beijing2022が無事終了した。ペキンの発音でなぜBEIJINGになるのかよく分からないけど、北京のスリーレターはBJSで東京のTYOとイメージが全然違うので、昔、航空貨物を仕分けした時の違和感が思い出された。
本題に入る。オリンピックはアスリートの表現の祭典で、その人間技とは思えない、人間の動く芸術をテレビを通して届けてくれた。最も印象にあったのは平野歩夢選手のスノーボードハーフパイプの演技である。予選では他者に寄せ付けない圧倒的な滑走で、素人目からも分かる段違いな凄さが伝わってきた。決勝では1回目にコケて、不安を感じながらも2回目の滑走で完璧な演技構成もまさかの2位と、全世界の人々が首を傾げる判定であった。実は優勝の滑走をリアルでは見ていない。それは、3回目の滑走で失敗(尻もち)があれば絶対負けるので、その瞬間だけは避けたいとテレビを消した。結果はネットで知ろうと弱気な観戦であったが、近所の「おっー」という歓喜に触発されテレビをつけ直してみた。そこには前人未到のスコアがあり、逆転優勝の結果であった。2回目の滑走を終えて、不満気な平野選手であったが、すぐに淡々と次の滑走を準備する姿が冷静さと王者から発する自信というか、情緒不安定さは一切感じさせない去り方であった。その辺りの肝っ玉の太さというか、その辺りのメンタルが王者の証であるように思えた。疑惑の判定も問答無用の跳躍により、王者所以の王者の点数を叩き出し、冷静に語る小さな巨人、平野選手の極めた人間が作る雰囲気を感じた。スノーボードもフィギュアスケートのように技術点、芸術点などを加味し、5回宙に舞うのだから、1回目のジャンプで最高20点、5回完璧で100点のスコアを審査員が出せばいいのではと思った。96点の平野選手は、ほぼ満点の演技内容であった。トリプルコーク1440だったか大技の名前は忘れたが、弟の海祝選手の1回目のエアー到達点6.1mは単純に自力で舞い上がった人類最高到達点であるような時間が止まった瞬間に映った。滑りの重力を使ったにしても、あれだけパイプ端で力を込めても到達できる高さではない。あの演技は兄の歩夢選手が20点満点なら17点は上げたい超人的な跳躍であった。一つのジャンプで採点が確定されれば、大技を繰り出し、ラストコケただけであれだけ点数が減ることもないし、このジャッジが公平ではと思う。
スキージャンプでは小林陵侑選手が、ほぼ2冠という快挙をなし、強い人間が勝つのだと改めて感じた。高梨沙羅選手が勝てないのは、やはり重圧に対するメンタル、本番で実力を引き出す能力が王者とは違う普通の選手になっているような気がする。王者のメンタリティはやはり練習に裏打ちされた密かな自信と逆境を闘志に変える気持ちの持っていきようとか色々あると思うが、やはりこの精神強さもトータルして王者ということか?
高木美帆選手のスピードスケートも見入った。最初の3000mは氷の上の微量の水が足りないのか、中国人が管理するスケートリンクだから均一に保てないのか訝しながら見ていた。明らかに中国選手が滑る直前の氷上クリーニングは母国選手を勝たせようとする中国にはありがちな、微妙な不正があったように思えた。1500mではまさかの2位で即倒しそうになった。絶対、金メダル候補であり、金メダルが最も有力視された競技であったから。死力を使い切って滑ったオランダの選手の勝利に対する執念が上であったのか?色々後になっては言えることは多々ある。それでも、棚ぼたで500mは銀メダルと取れるとこでは取れなく、挑戦者の500mで取れるとこは、やはりスポーツは最後まで分からない。同じ銀メダルでも、嬉しさが全然違うのは新しい発見であったと美帆選手も後でコメントしていた。女子パシュートではこれも逆棚ぼたで、勝利目前で2位に終わった。これがオリンピックかと優勝以上に記憶に残るレースであった。同じように羽生結弦の4位も記憶に残るとこ。そして、満身創痍で迎えた1000mで本当のメダルの色である金が彼女に届けられた。高木美帆の過去レース、ドキュメンタリーを見尽くしている自分としては彼女と同等の嬉しさがあった。努力が報われる瞬間というのが。27歳で本来ならば、化粧をして最も美しく見える年代であるのに、その努力を全てスケートに向ける彼女の顔は、本当にみずみずしさを失ったアスリートの顔であった。元々、彼女のキャパをフル発揮すれば相当綺麗に映るはずであるとファンでもあり勝手に思っているが、今回の北京入りした彼女は生気がない女性に見えた。それが悲しいが、それがアスリートの宿命であるのか。
フィギュアスケートでは初めての団体でメダルとペアなんて見向きもしなかった競技を見てしまった。片手で持ち上げる男性スケーターの男気に、あの呼吸の合い方を見るとそのまま結婚して幸せに暮らせるのではないかとスケート以外の舞台裏も見えた気がする。華奢なフィギュアスケートであると思っていたが、ペアはまさに男のマッチョぶりがいかんなく発揮され、この競技の面白さが初めて分かった。あれだけ女性を軽々リフトする筋力を見ると、練習中に女性の方が太りでもしたらグラム単位で指摘できるのはと思ってしまった。メタボとは最も遠くにいるアスリートがフィギュアスケートペアの女性であると思ったが、女子フィギュアはロシアの完成されたスケーターを見て、まさにスケートをしなくても実物大フィギュアであると感じた。ドーピング問題に明け暮れたワリエワであったが、顔、スタイル、演技と他の追従を許さない美しさが彼女にはあった。15歳と鋼のメンタルではなかったことが金メダルを逃したとこでもあるが、爺さんの薬を間違って飲むことあるの?とロシアオリンピック委員会(ROC)は来季からロシアドーピング委員会(RDC)と国では参加できないのだから名称を変えたほうがいいと思ったりもした。怪我がなければ紀平梨花選手のしなやかな滑りと挑戦中であった4回転、完璧なトリプルアクセルを魅せれば勝てたのかもと思ったりもした。期待していなかった坂本花織選手の滑りに、4回転だけではない本来のフィギュアスケートの原点も見えた気がするし、本番に強い彼女のメンタリティも感心することとなった。王者は本番に強い。
最後は、カーリングの話題で終わる。9試合も総当たりで戦い、最後の試合で負け、予選敗退の危機にスェーデンが韓国を粉砕し、それこそ棚ぼたの決勝トーナメントの進出を決めた日本。ダブルテイクアウトで最後の土壇場で勝ったデンマークの試合とかの針を通すコントロールでは勝ったが、負けた韓国戦ではその神通力がなかった。韓国は本当、日本と対戦する時は実力以上を発揮するなと感じた。スイス戦では気狂いじみた正確ショットが決まり、まさに試合をコントロールし、一次リーグ優勝のスイスもお手上げ状態であった。そして同じ下剋上のイギリスが1次リーグ2位のスェーデンを破り決勝にコマを進めた。優勝決定戦ではその神通力もイギリスのパワーに寄り切られ、下剋上優勝はなかったが、前回よりも1つ順位を上げる銀メダルとなった。関係ないが、カーリングを将来目指す女性はフィギュア同様に顔が美顔でないと絵にならない。アップがこれでもかと映るカーリングにブスは参加してはいけないと普通に思った。藤沢選手に当然、注目が集まるが、全力氷拭きのミニモニ鈴木選手が良かった。平均身長170cmを軽く超える欧州選手の中、144cmの彼女はミニサイズが際立っていたが、バランスがいいので単品の写真ではそこまで小さく見えない。移動中のストーンを必死にかき、止まっているストーンに足をかけない技術も凄いものだなと違う視点で楽しめた。以前の代表戦では北海道銀行の吉村選手の美貌にロコ・ソラーレ負けろと応援したが、やはりこの本番ではロコ・ソラーレの試合感、チーム力、そして笑顔に最後はこっちのチームが善戦する予感は外れてなかった。
ひたすら、自分の競技に集中し頑張る姿に何度も泣けてきた。ただ、滑っているだけ、飛んでいるだけ、転がしているだけ、かいているだけの一生懸命さであったがなぜか感動する場面がいくつもあった。年齢を重ねて思うことは、この一生懸命さが涙腺を緩ませる事態は若い時より確実に多くなってきている。それが加齢による精神的な成長であるのかもしれない。