40歳から「差がつく」生き方

book diary

Kindleの本で読み直していたことを忘れていた。いつものアンダーラインがあり、それを抜粋していく。本書は2016年発行とあり、一度書店で買って古本屋に出した本であったが、たまたま本書の話題に触れ、Kindleの読み放題でもう一度読んでみた。

あなたは不満だらけの奴隷として一生を終えるのか?それとも、「今、この瞬間が嬉しい」人生を積み重ねるのか?

「ノット・ノーマル」というのは「アブ・ノーマル」(変態)のことではない。あえて日本語にするなら「非凡」「脱常識」ということになろうか。

「情報の抽象度を高める」ーこれは「情報空間における視点の高さ」のことを指す。

堂々と、自分が正しいと思うことをすればいい

将来の年金のために働くより、今の充実が大事

「職業」は「お金を稼ぐ」ためにやるものではない

生き方を変える前に大量の知識を身につけておく

エフィカシーを高めて、自信に満ちた人生を歩め!「ノット・ノーマル」とはエフィカシーの高い人

エフィカシーを高めれば「金になびかない人間」になる。これから先、当分の間は経済の力が政治の力を上回り、金の力がますます強くなっていく。だからこそ、我々は「金になびかない人間」にならなければいけない。金に買われる人間にはなるな、ということだ。

とアンダーラインが引いてあった。「不満だらけの奴隷」というのは、ほとんどの日本人であると思う。感染防止という全く根拠もなく、エビデンスもなく、不潔でそれこそバイ菌保養保湿付き顔オムツ、マスクをほぼ全員の日本人がしていることもそうであるし、金の奴隷になる生き方をせざるを得ない日本人の暮らしぶりを見ていればよくわかる。もちろん、最低限生活できる金は必要であるが、高度洗脳プログラムのテレビを見なければ、本当に購買意欲など浮かんでこない。そして僕自身のことであるが、世の中の長いものには巻かれない哲学を実践してきたのはたまたま発見した「ノット・ノーマル」の実践だったかもしれない。カッコ良く言えば自分の哲学に忠実に生きることである。それが「自分が正しいと思うことをすればいい」に符合する。

40歳手前に好きなことを考えた。どれが自分に合っているのか?職業のことであるが、ふと運転が嫌いではなく好きだなとなんとなく浮かんできた。それでは貨物運送かと考えたが、20代、30代ではバリバリの力自慢もあったが、40歳を目の前にしてその元気も湧いてこない。体力的にきついと判断していた中、ハイヤーとかタクシーとかの求人が目に入った。人を運ぶなら、勝手に貨物(人)が降りていくので腰の負担もないなと半ば、自分の身体のケアを考えて転職してみたが、勝手に貨物(人)は降りていくが文句、クレームもあり、無言の貨物とは無縁の人間的サービスが必要になってくるものだと後、感じることになる。しかし、運転好きと、この仕事が情報空間で金を儲ける人間よりも遥かにより多く物理空間で役に立っているという自負がエフィカシーを高め今に至っている。人間の基本的な欲求の中に移動という手段は間違いなくあると思っているから。朝から晩までではなく、朝から翌朝まで本当に走った。走行距離のマックスは600kmにも及んだ。トイレ、仮眠、食事以外はひたすら都内を走った。24時間戦えますか?のリゲインのCMが脳裏をかすめ、まさに俺のことだなと妙に納得をしたこともある。そして都内を疾走中におそらく、世界中の国のタクシードライバーが走っているであろうが、この日本、首都東京のタクシードライバーが世界一走っているのだと感じた。毎日、ドライブだけで400km以上普通の人では走れない。そんな自負もある。

自分の仕事が物理空間で動く人間をサポートでき、人の役に立つリアルな現場を感じ、それなりの報酬をもらい生活できる今がやはり心地いい。法人タクシーならではの「やれスピード落とせ、やれ見なりを整えろ、やれお客様の言葉は絶対だ」なんかから自由になれたのは嬉しい。これからは全て自分の責任範疇になる。

エフィカシーを高めることは、昔から自然とできた。思春期に出会った友から「どうしてそんなに自信があるのか?羨ましい」と言う言葉も貰った。たまたま、強制する親ではなく、ある程度、IQのある家庭に生まれたことが幸いしたかと後になって考えるが、読書を通じて仮想現実を体験した経験値によるものなのかもしれない。

巷では、政府、マスゴミの必死の洗脳により普通の生活を取り戻せない多くの日本人が存在している。洗脳を解くには、それこそテレビ、新聞が本当の真実を語ることなのであるが、保身であり、今だけ、金だけ、自分だけの拝金主義の亡者たちが改心することはないであろう。

教育と洗脳の違いは?前者は語る人間に金が流れないことで、後者は金が流れるというわかりやすい定義を昔、知ったが、拝金主義が骨の髄まで達し、ここまで洗脳プログラム(テレビプログラム)が世の中に溢れると、洗脳を解くのは難しいであろう。巷の民は、自分の大脳(小さな頭)で考えていかなくてはならないであろうが、考えることを放棄したほとんどの民はやはり、自ら屠殺場へ出向くしかないんだろうな。と脱線したがそう思えた。