衆議院選挙、終わる

diary social

まず結果から自民党の惨敗がなく、野党の勝利とも言えず、結局何も変えることもなく不幸を持続する自民党政治を愚民は選んだことに落胆の色を隠せない。よくよく考えれば、既に1億人の日本人がコロナワクチンという名の遺伝子組み換え免疫不全マイクロチップ入り毒物を摂取している現状から、洗脳がここまで深く日本人に浸透している事実を見比べればこの結果は予想されていた。その結果に多少の希望を持っていた自分の夢が単純に砕けたのはその洗脳者数のカウントを頭に入れてなかったことに起因する。こっちも希望バイアスがかかり、現実を見失っていたのは反省するとこ。ということで1億人も洗脳されている現状では一揆は起こり得なく、選挙という茶番から脱出するのは無理と分かった。何も社会を変えられないのなら自分で防御していくしかない。

2014年発行の「バカになったか、日本人」橋本治の著書が本棚にあり久しぶりに覗き込んでみた。改めてタイトルの意味を考えるとバカになったのではなく最初から日本人はバカであるとこが最近の結論である。たまたま島国で外国からの侵略もなく、適度に温かい気候と適度に寒い気候の文明的開花のできる土壌で、天皇という権威を作り、日本に住んで日本人であったために、働き者であり、おめでたき気質の村社会で、集団からはみ出さない生き方を洗脳され続けてきた日本人であるので、集合的ベクトルが他国より乱れがなく、自己犠牲という名の集団幸福のために、自分の意志を犠牲にしてきたので、多少海外より発展したという歴史的事実である。もちろん、日本人の中には極端に頭の切れる人間もいたので、彼らの指導、発見、発明などで他国よりは発展する要素はあったであろう。

選挙では何も変えられない。

その歴然的事実を再確認できた上で今回の衆議院選挙は意味のあるものであった。

甘利、石原、辻本、小沢と大物政治家が落選するとこはドラマであったが。

結局、「祇園精舎の鐘の声・・・」は名言であり今でも十分輝きのある言葉であった。