2011年3月11日 仕事

diary

今でも割とはっきりと記憶に残っている日である。もちろん、東日本大震災なので洪水地域、停電地域、帰宅難民などなど、それぞれの方のそれぞれの人生で鮮明に覚えている日でもあろう。

あの日は普通にタクシー乗務で13時50分にICカードをさし、ぶらぶらと自分の縄張りである銀座、恵比寿方面に向かった。一人お客さんを乗せた後、秋葉原で道路上のパーキングに止め、飯を食べ、電気屋を徘徊した。その時、この巨大地震が起きた。幸い店内にいたが、ショーケースが倒れるなどの被害はなく、そのまま駐車してあるタクシーに戻ろうとした。「これは、電車止まったであろうから忙しくなるな」という勘は働いたが、案の定、停車しているタクシー前に客がいて乗せてくれと頼まれる。そのまま秋葉原から代々木のNTT病院経由で成増まで震災後初めての客を送った。途中、運転していても余震の地震が車に伝わり、陸の上を走っているのかわからないような船のような揺れを感じた。送迎中、VICSの道路情報が都心から円を描くように真っ赤になっていくのがわかった。

15:10 秋葉原ー代々木ー成増 17:23 距離22.8km 時速10.3キロ

17:24 成増ーふじみ野市上福岡 20:17 距離19.4km 時速10.3キロ

途中、新座市では完全停電で信号機の点灯がなく、鬼の渋滞になる。真っ黒な市街地はこれを衛星写真で撮ったらまるで北朝鮮だなとふと思ったりもした。論理無用の大渋滞にヒステリックになり、叫ぶ輩もいた。

20:20-20:25 ファミリーマートでトイレ休憩

20:25 ふじみ野市上野台ー越谷市大成町 23:08 距離33.8km 時速12.4キロ

タクシーには縄張りという営業区域がある。区域外から区域外は営業できないタクシーのローカルルールである。実際、区域外(ここでは埼玉県ふじみ野市)から区域外(埼玉県越谷市)なので区域外営業ということで事務所に戻れば始末書が用意されている。やたら法に逆らわない杓子定規の人間ならファミリーマートで降車地を訪ね、お乗せできませんと断っていたであろう。でも、事は緊急事態大地震、そんなタクシー業界のルールを適用するよりも、今、困っている人間を運んでやるのが仕事である。俺は正しい判断で職務と全うしたと堂々と始末書を書くつもりであったが、結局、緊急事態ということで帰庫オーバー、区域外営業の始末書はなかった。このようにマニュアル以外の異常事態でどう対処するのがその人の力量であり哲学である。俺なりの哲学を遂行した。

降車地、越谷レイクタウン駅が目の前であったので、空車が行くと我もわれもとゾンビ状態になるので回送で恐る恐る進行、さすが日本人、きちんと整列して順番待ちをしていた。「東京のタクシーなので東京方面の方ならお乗せできます。」とアナウンスすると8時間待ったと言われるご婦人2組が乗ってこられた。交通が麻痺していたので、地元、越谷のタクシーには乗車拒否されていたらしい。方向が同じということで2組を乗せた。「高速から一斉に車、トラックが降ろされたので下道をちまちま走行するしかないですよ」と案内したが、40kmの道のりを歩いて帰るにもいかず、「乗れただけで何でもいいです。」とのこと。確かに8時間タクシー待ちでは何でもいいわな。

23:12 越谷市大成町ー西東京市戸町ー吉祥寺東町 1:57 距離43.5km 時速15.8キロ

五日市街道では何台ものタクシーが仮眠をとっていた。多分、地震直後からずっと走らせられたせいであろう。しかし「ここで寝るのは並のタクシー、俺は違う」とばかりに吉祥寺から縄張りの都心目掛けて走らせるのだが「やっとタクシー乗れたー」と脚が棒になった客をもう一度Uターンして吉祥寺近辺に送り届けること6回。ようやく吉祥寺から新宿区下落合の客を乗せる。

4:14 吉祥寺本町ー新宿区下落合 4:48 距離14.6km 時速25.8キロ

5:02 杉並区阿佐ヶ谷北ー座間市入谷 6:34 距離41.7km 時速26.9キロ

6:35-8:00 回送 初めて高速に乗る。海老名IC−東名東京

8:00 自由が丘ー大田区大森本町 8:22 距離9.1km 時速24.8キロ

8:37 港区港南ー北区田端新町ー府中市浅間町 11:35 距離73.3km 時速24.8キロ

11:36-13:55 回送帰庫

調べたら昼飯休憩の47分、トイレ休憩の9分であった。走るのが苦でないタクシードライバーの一日であったが、売上は営業所1位、そして今までの営業売上1位でもある。どうだ凄いだろ的な意見ではなく、おそらくどんな日本人も同じように自分の職での任務全うを行っていたのだと思う。福島原発では決死隊が組まれていたり、道路復旧を急ぐ工事関係者であったり、物流関係者であったり、報道であったり。

その後、自衛隊が福島、宮城、岩手に派遣され、言葉に出来ない修羅場を何一つ発せず黙々と作業されていたであろう。その災害救助に向かった隊員の奥さんが「あなた、無理しないで仕事してね」と言う、ねぎらいに「こんな時に無理しないで、いつ無理するんだ!?」と返答したとあった。これが日本人なのである。それぞれの職場で一生懸命仕事する。その一生懸命を記憶が風化する前に伝えたかったことである。

やたら詳しいレポートだったやろ?それもそのはず、iCloudに残っていた最も古い写真が10年前の今日であった。