聖飢魔II

diary music person

昨日、結成35周年の聖飢魔IIライブへ行ってきた。学習院大学学園祭ミサを見逃してから四半世紀くらいの月日が流れた。WOWOWライブで彼らのパッフォーマンスを見ることがあり、還暦を越えた彼らの活動絵巻を直接観る機会はもうないのではと思い、チケットを予約し馳せ参じてみた。

聖飢魔IIと言えばお笑いだが、冒頭のオープニングアニメを見て期待に胸を膨らますこと5分。そのままアニメからライブ映像になり、面食らってしまった。「えっ!?ビデオミサ?このライブ映像を見るために東京フォーラムまで来たんか?」と唖然としたが、よくよく考えると最高の演奏(失敗したテイクは再録画して最高のを残せる)なので、逆にこの方がいいのかな?と肯定的に考えたが、やはり生演奏でないとなんて言うか、エネルギー、情熱、空気が伝わってこない感じがする。そしてこれは国際フォーラムへの文句であるが著しくスピーカーの音が悪い。MP3音源のような圧縮した音に聴こえ、特に高音では突き刺さるような耳障りの音に届く。録音した音源自体がハイレゾではない標準的な音で録音したのか定かではないが、はっきり言って音が悪い。フォーラムを設計した段階である程度の音の伝わり方は設計に組み込まれていたのであろうが、音を重要視する人間が制作に携わっていなく、平凡なスピーカーを組み込んでいた感じがする。それくらいライブ会場であるのにスピーカーの音が悪い。

と聖飢魔IIから脱線してしまったが、デーモン閣下の登場はなぜか笑みが溢れる。何かしら面白いことを言ってくれるのであろうといった期待感と実際、面白いトークが聞けるのでその辺りの期待値が自然と笑顔にさせてくれる。この自然と笑顔にさせてくれることをイタリア語で「セレーノ」と言う。これはイタリア史の権威である塩野七生の本の中に成功する男とは「セレーノのような男である」とあり、セレーノとは青空の澄み切った明るいという意味があるらしい。成功する男には必ず、周囲を明るくするこのセレーノがあると塩野七生は解説していた。その「セレーノ」がデーモン閣下には間違いなくある。歌も上手くボーカリストでもあるが、相撲を定越した観点で話せるとこや、10万うん歳と悪魔を語ってボロが出ない論理展開など、他の職業に就いても成功していたのだと思う。これほどのエンターテイナーボーカリストは世界探せどそうそういない。まさにロックボーカリストとしての最高峰であると思う。

ビデオ途中から好きなギタリスト、エース清水が参戦し、トリプルギターになったとこで、その元祖である38スペシャルが思い出された。ギター3本もいらねんじゃねぇ?と思いきや、ツインリードでハモる場面ではもう1本のギターがバッキングをこなしていて、それはそれでありかなとも思えた。が、聖飢魔IIの演奏者ではボーカルのデーモン閣下に次ぐ、才能のある人がエース清水であると僕個人は思っている。派手な演奏や速弾きはないが、音楽理論を分かった音楽家から放たれるギターソロは秀逸あり、「エルドラド」「蝋人形の館」など今でもそのフレーズセンスは光っている。

話しは戻って、1時間少々のビデオが終わりスクリーンが白くなり、新しい展開になるのだと見ていたら、幕が上がり本人たちが登場してきた。なんだいるんだ?いなけりゃ8800円の映画じゃ高いなと思いながらアコスティックギターの生演奏が始まった。幾分、生音なので音が改善された。そして、直接届く音と映像ではやはり違いが全然段違い違い平行棒。ステージは非常に質素な感じであったが、メンバーとの半ばくだらない談笑もあり、還暦過ぎたおじさんたちが大学生からそのまま今になったような時間的違和感を感じない雰囲気であった。アルフィーも聖飢魔IIも軽音楽クラブ同好会からそのままプロになったわけだから。

ワクチンを悪チン接種と時事ネタに合わせ、トータル2時間の演奏会であったが、独特のメイクには日本版KISSだなと感じ、デーモンのMCに笑い、歌唱力に魅了され、楽しいコンサートであった。派手な動きもなくライブではなくコンサートという表現が合っている。それでもやはりライブは立って身体で音を感じスクリームしないとライブではない。この意味のない、マスク、飛沫、コロナ祭りはあらゆるところで情報パンデミックならではの弊害が横たわっているが、飛沫防止メガフォンをプレゼントするあたりは元祖コミックバンドのDNAも劣化されていない。

ライブは演奏者、観客が楽曲を通し、ゾーンに入れる非日常なのだと改めて感じる。ゾーンに入る音楽との旋律は麻薬に似た大量のアドレナリンを発生され、気分を高揚させ、ストレスを解放させてくれる。それにはやはりある程度のデカい音と光、レザー光線、スモークなどの演出が必要。そのトリップできる劇場がライブなんだと久しぶりに思った。