石原慎太郎 没

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元都知事政治家・作家の石原慎太郎が没った。都知事時代には彼の著書を読んで、反骨精神に溢れる政治家だと共感する部分もあった。「Noと言える日本」がベストセラーになり、その頃あたりが自分との接点である。

ある著書にはっきりと記憶の残る文章がある。大東亜戦争末期に石原慎太郎と弟の裕次郎がアメリカ軍機に原っぱで機銃掃射する場面がある。明らかに子供である二人に敵機アメリカ軍は容赦無く機銃掃射した。ススキノ、岩等が彼らを隠すバリケードになり、下に伏せたりして敵機の様子を伺っていた。そこに別のプロペラ機が登場し、逃げ道を失うかに感じた瞬間、空には日の丸模様の零戦がアメリカ機を追い払う場面が青い空に展開されていた。石原兄弟はその零戦の勇姿に胸が沸き立ち、あれほど心強く、日本を応援する瞬間はなかった。とあった。

それから政治家になり、ある程度の反アメリカ思想を掲げ、まともな政治家であると思っていた。時は経ち、ある講演会で石原慎太郎の政治を伝える場面があり、その話しになるほどと唸った。それは環八の空気悪化を視察でモロに感じた石原は都内を走るディーゼルに噴煙を抑える触媒マフラーの設置を義務付ける。おそらく独断による英断である。首都東京は日本の要でありここを通らず、経済を回すことはどの企業、運送も無理な話しである。そしてその条例が施行されるやいなや、黒煙モクモクのトラックはほぼ見ないことになった。それによって、僕の鼻毛の著しい進化が止まり、田舎(山形)にいるときと変わらない感じになった。東京に来るやいなや、空気環境の悪い東京での生活に勝手に身体が反応しただけであるが、その鼻毛の成長の鈍化は間違いなく石原都知事の仕事の賜物である。明らかにバブル期の東京より空気も水も良くなっている。その功績は石原都知事のおかげだと講演で聞いたのである。もちろん鼻毛の成長は僕が感じたことで、講演では空気の清浄化を伝えられただけだが。

また、外形標準課税を実施することにより、出鱈目融資のメガバンク、イカサマ企業の赤字決算により税金免除を新しい手段で徴収する裏技も行った。他、独自の融資システム(これは、貸し渋りを是正する東京都の政策であったが、後に不正など行われた)を導入し中小企業倒産をサポートしてみたり、ある程度のビジョンを伝え、都庁職員に仕事をさせる自主性も与え、都庁内での評価すこぶる良く、緑のクソたぬき(自分ファーストサイコパス小池百合子)とはまさに雲泥の差があった。

まさに政治家の仕事をしてきたわけだ。しかし、新たな疑問点が後に指摘され、やはり石原も尊敬できる人物ではなかったのだと落胆した。それは朝堂院大覚のYouTubeを見ていると、石原が腹ました女に何の援助もしてやらない、奥さんの尻に敷かれた現状を嘆いた一説である。当然、若い頃の石原はモテるわけで、女の複数での交友を非難しているわけではない。ただ、昔の政治家のように妾でも、その生活を守ってやるのが本当の男であろう。その義務を放棄した生き方には賛同できない。

もちろん、それだけの情報だけで石原全体を理解したことにはならない。終戦後、街を歩くMPに対し、周りの日本人が遠慮して道を譲る場面でも、堂々とアメリカ兵の道を塞ぎ、張り倒されるまで行動した勇姿はあっぱれであるが、その勇気を持ち合わせているのであるなら妾の生活も見てあげるべきであろう。貧乏ではないのだから。

そんな気分になったので書き記しておく。いずれ人間は死に訃報として流れる。この日が来たのかとある意味感慨深くはなる。やはり理想の政治家として僕に伝わって欲しかった。こういった綺麗事は理想論なのであろうか?