痩せる

diary

飽食の時代になった今、美徳とされることの一つにダイエットがある。いつまでも綺麗でスマートでいたい的な自己イメージを大事にする人には欠かせない要素の一つである。一年前に、たまたま20代のダンサーのチビTシャツから垣間見れる若さの細いウエストを見て、軽くカルチャーショックに陥った。これが若い女のウエストなのか?と。僕の接する女性陣はほぼ丸大ハムばかりである。

それから、発起して20年ぶりに筋トレを始めた。筋トレといってもライザップとか流行りのチョコザップとかのアスレチックジムに通うようなことはしなく、家で自重トレニーングをするだけである。時間にしてわずか5分少々。それでも毎日やると決めていてもサボったりしてカレンダーの筋トレ日は空いたりして埋められない。

6月に草野球の連戦で体調不良に見舞われ、飯が喉を通らず、仮に食べても不味くてどうしようもない症状に陥った。そのこともあり、体重は落ち、1年前に比べると5%減量の78kgになった。この70kg代は本当に久しぶりでほぼ、30代後半の体重になった。40代、50代は83kg近辺をうろつき、自分自身82,83あたりがベストと思い込んでいた感がある。その自己安住に定着し、体重測定だけやるという20年が過ぎた。最新の体重計は恐ろしく細かく測定され、体脂肪は25%と全然デブではあるし、体内年齢も実年齢よりも高年齢と評価される。これから数値が若返ることはまずないであろうが、僕なりに理想の親父シルエットを目指すべく、5分筋トレは続けていこうと思う。たまのウォーキングも。

昔、美人でスタイルの良かった山咲千里という女優がいた。彼女の20代に発売された写真集「アナザースキン」は当時、一番売れ、奇抜でクリアな写真を撮るリウ・ミセキによって芸術的な作品になった。今でも僕の書庫に保存されている。それから彼女自身がエッセイ本を出し、今だに記憶に焼きついているダイエット言葉がある。「体重把握はベルトでやればいい。キツくなったら太った証拠。自分の中で一番スタイルのいい時に、一番高い服を買う。」その言葉が今でも脳裏に焼きついている。実際、30代後半のサラリーマン時代にオーダーメイドのスーツを作った。試着版はウエストが少しゆるく、最終調整では絞るように担当者に伝えたが、必ずデブることが分かっていた担当者は拒み続けたが、山咲千里の言葉を信じた自分は押し通し、最高の身体に合うスーツが届いた。その後のデブ化により、担当者のあの言葉がすぐに思い出されたが、ここで諦めては自分との約束が果たせないとなんとか着れるとこにある。ウエストはまさに強制下着状態で、よく肉がウエストのベルトに収まったなと感心する。しかし、少しの食事で破裂するので食べることはできない。

体重は多少、昔に戻りつつあるが、20年という怠惰な生活で、筋肉量は落ち、体脂肪は高くなるという典型的な中年体型ではある。それでも、ほぼ毎日体重計に乗り、酒を飲んでラーメンを食べた翌日は異常に体重増加が見られるので、断食は続けたおかげで、その辺の中年おっさんよりはまともな身体をしていると思っている。今流行りの「イケおじ」になるために。

飲み屋の姉ちゃんなども加齢によりだいぶ太ってきている現代で、体重キープすることは至難なことであり、体重コントロールできる人間は自分を律しているいい男、いい女であると個人的には思っている。時々、女性に太った原因を聞くと非常に自分に甘い怠惰な生活解答があるが、それを平然というか、しょうがなく太ったという女性特有の回答に、「単純に食べ過ぎているからだろ」と即答したくなるが、あくまでも自分以外に原因があると回答する頭のプロセスは女性脳特有だと思う。

食べなければ必ず痩せる。食べてから次食べる時間のインターバルを長くとる。適度に運動する。毎日体重計に乗り、体重を把握する。食べ過ぎたら翌日食べない。

そのことだけを実行していれば、そんなに太ることはない。しかし、食べることも生きる喜びであるので、なかなか自己抑制して生きるのはやはり強靭な意志が必要になる。自分は単純に醜い自分になりたくない。それだけである。今の体型は今までの食生活、運動での結果であり、自分の責任である。そんな考えから街でデブを見かけると自己制御できない怠惰な人間だなと卑下してしまう。いい男、いい女は必ず自己制御できている。その過去の生活習慣が今の姿なのだ。