日高屋

diary scene

最近、タイトルの日高屋のタンメンにハマっている。タクシーを始めた2008年頃には日高屋に行ってみて不味い印象があり、16年は行っていなかった。最近、駅前の貸店舗にタイトルの日高屋が進出し店を出した。久しぶりに日高屋に入りタンメンを注文してみた。

不味いイメージであった日高屋であったがことのほか美味しく感じられ、先入観だけで判断するのも考えものだと改めて思い知らされた感じであった。料金も貧乏人が列挙するだけありリーズナブルに設定されてある。最近のあらゆる物価上昇にあの良心的な松屋でさえ薄利多売から厚利多売に変化してきた。たかが冷凍肉の加工で1000円を払うなら、同様の専門店の肉を食べた方がいい。その意味で38年通い続けた松屋から足が遠のいている。これも時代の流れか、多少寂しい気もあるがどう考えても高い。

そんなんで、日高屋の1000円以下で満足できる食事に、日高屋の底辺レベルの食を支える企業姿勢に共感を持った。そしてその620円のタンメンであるが同様の値段のタンメン屋を渡り歩いたが、日高屋のタンメンが一番美味い。そしてリーズナブルな価格設定である。「野菜たっぷりタンメン」と名付けるだけあり野菜が多く入っている。この野菜の出所を考えるとリンガーハットのような固定の農家から専属に買い上げるシステムが出来上がっているのであろう。

デフレから脱去中の日本で、これみよがしに値上がりする中で営業、さらに店舗拡大している日高屋には頭が下がる。薄利多売でこれだけ駅の東口、西口と展開しているだけある。僕ら庶民にはありがたい企業であるが、厨房で熱線を浴び料理している料理人の顔を見ると、薄利多売であるがゆえ給料もそんなに高くないのだろう?と慈愛的な眼差しになる。それでも好きな料理をパッケージングされた具材、調味方法でやり続けていること自体、幸せなのかも知れない。

僕は車の運転が好きで得意なのでタクシーをしている。フライパンを持つのが好きなので料理人をしているのであろう。どの職種でも好きなことをするのがその人のパフォーマンスは著しく上がる。その好きなことをして、高額徴税される日本であるが、普通の生活は出来るだろう。その繰り返しの毎日で年齢を重ねいずれ死ぬ。仕事をやっているうちはその大部分が繰り返しの毎日である。ただ、その繰り返し続けていることがプロである技量であったり、継続から生まれるスキルの持続性であったりする。どんなプロもしばらくその道を外れると、元に戻すまではやはりそれなりの時間がかかる。継続は力なり。それを天職にできれば人生は儲けもの。