投資

diary scene

「投資」とかいう漢字を書くと、お金を何かに投資し、資産を増やすイメージがあるが、今回はその意味の投資ではない。

では何が「投資」なのか?それはタイトルの絵でもある「読書」なのである。

元々浪費家である自分はお金をコツコツ貯めて投資するといった発想もなければ実行力もない。そして前に読んだ斎藤一人さんの言葉で「お金は大切なんです。その大切なものを投資として働かせることはできません。だから私は商売だけで日本一の納税を果たしたいのです。」原文はそうではないがニュアンスとしてはこんな感じだと記憶している。そのセンテンスに面食らった自分は、浪費家のバックグランドもあり「投資」ということはやめようと決意した。また、株式投資、FX投資、その他の投資をしたとしてもその値上がり具合なり、損切りなりと頭を使うことが億劫であり、これも時間の無駄であると切り捨てた経緯もある。

「金」の値上がりは5年前からその「読書」によって分かっていた。準備金があればやったと思うが、その準備金も浪費家の自分にはなかった。買おうと漠然と思った時の金1グラムの価格はゾロ目で記憶にある「4444円」であった。当時利用してたアプリを今見ると「7988円」になっている。単純に差額、3544円の儲けであるが、知恵はあっても資金がなければ意味がない。また、欲が出てくればいつ売るかのタイミングも悩ましくなる。そんなんで投資に関わる自分の時間も切り売りすることになるので最初から「投資」は諦めた。

メリットはどんなに株式が乱高下しよと自分には関係ないので、よその世界として受け止めることができる。また、さっきも書いたように自分の時間を削らずに済む。

だいぶ前置きが長くなったが僕の「投資」について語ってみる。

今でも記憶にあるが、村上龍のメールマガジンで「僕は騙されないように経済を学んでいる」というのがあった。村上龍が経済を勉強したのは「騙されない」という自己防衛というか、逆に勉強しないと簡単に騙されてしまう裏構図が見えたからであろう。同じように僕もその言葉に従い、「騙されないように学ぶ」姿勢が芽生えた。それから興味ある裏社会、世界構造、経済、歴史を僕なりに勉強してきた。もちろん、興味のあるとこを読んだり調べたりするだけであるので、自分では偉そうに「勉強してきた」という実感はない。ただ、少しずつ世の中の仕組みが分かってくる過程というか、昨日より賢くなったという自分なりの充実感を味わえたのが続けられた理由である。

また、苫米地英人の本を読み漁り、「俯瞰して物事を見ろ」というセンテンスも刺さった。「俯瞰」することとはどういうことか?より多次元で物理現象を理解しろということなのか?まだ、悟りを開けないではいるが、自分なりに意見というか頭の整理ができるようになった。そして、今ではテレビ、ニュース、そして一部のジャーナリストの発言がまさに「こいつバカだな」と見れる領域まできた。そしてるうちにいつの間にかほとんどの人間が「ばか」に見えるようになってきた。これは別に俺様が一番頭いいとか自慢しているわけではなく、こんなトリック見分けられないの?的な感覚である。

前にも書いたが、内田樹が「知らないということは、それを知りたくないといった能動的な行動である」と語ったが、このコロナワクチンの毒性に気付けない人々は自分のお袋含め、その本当の情報を自ら取り寄せることができない、自らその本当の情報を遮断した結果であると言える。テレビ、マスゴミによる洗脳であると片付けると、多少被害者的な見方にも捉えられるが、その洗脳に対してそれこそ自己免疫があれば、「嘘」と見破ることができる。

健康であれば何でも出来る。億を稼ぐこともできよう。しかし不健康では有り余る財産を持っていたとしても無駄であり、また億を稼ごうという気力も体力もない。この世で一番大切なものは自分自身の健康なのである。その事実をこの読書によって培われてきたので、僕の最大の投資は「読書」なのである。

いよいよ、巷のマスコミもワクチンによる健康被害を報道するものも出てきた。また、人口推移も如実に下がってきて、この大掛かりな人口削減プロジェクトの本編も垣間見ることができるようになってきた。

落合信彦がテレビ・新聞は「情報」ではなく「お知らせ」とだいぶ前に語っていたが、現実は違う。テレビ・新聞は「洗脳」である。テレビ・新聞・メディアが伝える情報は庶民を騙す洗脳なのである。そしてテレビ・新聞・メディアが唯一正しく伝えているのは日付だけである。

ということで「ワクチンなど絶対打つか」と自分を洗脳できたのは「読書」による情報整理なのである。よって一番の財産である「健康」を守れたのは「読書」であり、最大の自己投資なのである。これに勝る投資はない。