我が青春の足立区

scene

我が青春の足立区とは嘘である。「わが青春のアルカディア」という松本零士、キャプテンハーロックの映画のタイトルがうん十年ぶりに蘇り、そのタイトルになぞろうと決めただけである。

それでも、北野武のような本当に足立区で過ごした人間には響く言葉であろう。それは各人が自分の市町村の出身地名を思い浮かべてくれれば、同じように伝わるニュアンスである。

足立区に引っ越してちょうど一年になった。個人タクシーは営業エリアに住居を構えないと営業できないお上の御達しがあり、仕事をするエリアは東京なので足立区へ引越っすことになった。引越し回数の異常に多い私は、親父の転勤を含め足立区に引っ越して通算28回目の引越しになる。年齢で割ると二年弱おきに引越ししてきたことになる。まさに漂流のような生き方である。作家の五木寛之がどこの本で言ってたか忘れたが、幼少時に引越し経験のある人間は漂流の人生を送るとあった。もう三十年くらい前のことであろうか。その時にも充分他人よりも引越し経験があるので、その短いセンテンスを読んで妙に納得した記憶がある。そして新天地を自分から望むという志向もある。確かに今までの引越しを思い出すと、新しい街での何も知らない環境での新しいことを知ることが結構楽しかった。普段住んでる街なら、どこに何があるか普通分かるが、新天地だと当たり前だが分からない。その新天地での発見(店、施設、道)が心躍らされる。そんな漂流の生き方をしてきたせいもあり、住んでいたエリアにあまり深い思い出というか愛着がない。もちろん、幼少期に住んだ環境はそれからの人生に影響を多いに与えるものがあるので、ないとは言えないが。成人してからの街は住んでいたなという遠い記憶を追いかけることと、改めてその土地に行き、懐かしさと記憶を呼び覚ますくらいであった。

しかし、この足立区に引っ越してきて妙な地域的なローカルさもあり居心地がよく感じる。東京では田舎であるが、もちろん八王子市というわけではなく、東京23区に所属し、多少の距離はあるが都心へのアクセスは早い。そして、人口も学校も予算もトップクラスである。調べてみると平均所得は23区で最下位であるが、一度東京に集められた金を23区に分ける割合は他の区より多く、財政的には結構豊である。そして東京23区なのにやたらでかい公園があり、平坦で河川敷にはいくつもの野球場なり、運動場が展開され、近くの小学校からは子供たちの明るい声が聞こえてくる。なんと田舎と都会の暮らしが出来てしまうまさに穴場スポットなのである。

野球バットでノックをすれば、お隣埼玉の草加市に届くというほど国境(県境)沿いに構えているが、のきなみそこら辺を徘徊すると明らかに草加エリアより足立エリアの方が道路、雑草、その他いろんなものに金をかけてある高インフラになるほどど感心することもある。お隣、埼玉は地方交付税交付金の配給がないと県、市政が回らない。一方東京都は日本で唯一、交付金を必要としない地方自治体なので、お上(政府・財務省)のご機嫌伺いもなく、独自に予算の分配からサービスを受けることができる。今回のコロナ騒ぎでも、1兆円弱のプール金を散財し、都民の生活をかなり助けた。その社会福祉協議会からの無利子貸付で生活できた背景もある。生まれて初めて自治体からの再分配をお金という形で受け取ってみて、初めて税金というものがこう言った弱者に回っているのだと感じ、足立区を見直すきっかけになったこともある。と言っても貸付であるので返さなくてはならないが。

そんな近所から聞こえる子供たちの遊び声に心地よく、「いっぱい遊んで元気に生きなよ」と応援する気持ちが生まれた。これも老化による老いて丸くなるという心境の変化であろうか。そんな中、足立区大好きになった私は一冊の本を読んで、さらに足立区の歴史、文化を学び、我が愛するホームタウンという身体形成がなされようとしている。

とりあえず、あと二十年くらいはこの足立区で過ごし、仕事をし、その後年金による余生を田舎(どこか決めていない)に住み生涯を終える計画を立てた。アメリカ大統領に正式にトランプが就任したのなら、全世界に本当に明るい光がさし、日の国、神の国である日本は繁栄していくであろう。ということで景気も徐々に回復し、自粛マスクの生活も終わる。そして新しい日本が少しずつだが芽吹いてこよう。