山形散策
毎年、冬が来ると雪の到来を密かに心待ちにしている。僕の原点は雪国育ちであるし、西高東低の気圧配置、関東に暮らしていると雪そのものに触れる機会が激減したのもある。雪は高度に完全白世界を演出してくれる。そして綿雪は柔らかくそして冷たく、人生の如く手のひらの温度で溶けていく。人生の片鱗を見せてくれているような大袈裟なものでもないが、人間の創造である人工物を見事なまでに覆い隠してくれる自然の癒しでもある。
天気予報を見ると5日山形は雪であると知った。年始は世間の動きも鈍く年末のような忙しさもないので、暇な時期に旅をするのがいい。旅と言っても4時間くらいドライブすれば故郷に辿り着く。子供の頃は山形と東京の距離の開きを実感し、さも遠い印象があったが、普段、仕事で300kmを走る自分としては何も考えず、客も探さず、ただひたすら高速を走るドライブなど、それこそ朝飯前の感覚。そして最近の自動車の自動運転のおかげでハンドルを持つだけの運転では楽ちんさがさらに特化されてくる。高速巡行は遊びくらいの領域まで来ている。さらにスバルのアイサイトXに乗れば、ハンドル操作も自動で行なってくれて、前見てハンドルに軽く触れるだけで人を運んでくれる。
そんないつもの思いつきで山形に帰ってみた。いつも思いつきで友人を訪ねて、迷惑がられるので今回はインスタグラムから接点を持った小学生の同級生にアポを取り車を走らせてみた。到着時間、待ち合わせ場所を設定するとより具体的に旅のプランが出てくる。当然、その時間、場所に到着すべき行動になり、その思考から現実に投影される。
小学生時代はよく遊んだが、中学では別クラス、高校は違い、社会人になってからその彼とは一度も会っていない。よくよく考えると40年ぶりくらいの再会である。彼のあだ名はプロパンで単に小学生時代に彼の親がプロパン事業を展開していたので、流れというか、小学生の頭なのでそのまま彼をプロパンというあだ名で呼び続け、今日に至った。流石におじさんになって小学生のあだ名で呼ぶのも、彼に悪いかなとも思えたが、社会人を通じあだ名を変換してきた接点もなく、そのままきたので、やはりプロパンでいいなとそのあだ名で連絡をとった。彼自身も自分のYouTubeチャンネルをプロパンチャンネルとしていたので、そんなに気にしていないのだとは会う前に分かっていた。お互い、おじさんになっていたが、間柄はまさに小学生の延長である。一瞬というか、普通に小学生時代の雰囲気になった。考えるにこの関係性はやはり社会人になってから得られる人間関係では出来ない、出来ずらい関係性であると感じた。振り返れば、ここまでざっくばらんに踏み込んだ関係になった人間を社会人からは一人も出来ていない。この損得抜きの関係性は子供時代に培い遊びを通して同志になった関係性が大いに関係していよう。改めて幼少期の友達は大切なものである。
同じように、幼少期時代にあった菓子店では土産を買い、昔話と現状を報告し記憶から関係性を再確認できた。そして同じように創業40年以上、昔と同じように店を構えているとこに地場産業というか継続している努力と平均余命が短い企業で、これほど続いている経営に感心することになった。醤油屋を営む別の同級生のとこにも脚を運んだ。これまた40年会っていないので、その変貌に分からず声をかけ辛いかなとも思えたが、これまた偶然、神の計らいで声がけ自己紹介をし、40年のブランクをお互いの記憶の担保により打ち解けた。これが男の友情でもあるし、幼馴染という離れ技でもあると改めて感じることになった。
過去故郷、山形には何度も脚を運んだが、宙ぶらりんな職であったり、変なプライドがあって旧友を訪れる勇気が無かった。ようやく変なプライドもなくなり、タクシーという職業で一生やっていく覚悟ができたので、堂々と訪れる背景が出来上がったこともある。店ではやはり継ぐにあたって、それなりの丁稚奉公、他企業での修行があり、それを経て社長として活躍している現状がある。個人タクシーと言えでも13年の法人修行があったことを考えると独立というのはそれなりに経験、年数がかかるのだと漠然と思えた。
故郷山形へは東北道を一輪の雪も見ないまま突入したので、雪国じゃないのかな?と不安も覚えたが、峠道から雪が降り始め、山形の県境に入る時には完全な雪国侵入となった。今度はスリップというか慎重な運転が必要となり、違う不安にぶつかった。別にドリフトさせようとしなくても普通にアクセル踏んでハンドルを切るとケツが滑ってくる。やはりスピードを抑えて静かなアクセルワークが雪国では必要だな。
ファミレスで5時間は語り合い、居酒屋並みの長期滞在店占拠となったが、久しぶりの交流に楽しさを覚えた。ほとんど僕の独演となったが、伝えたいことが山ほどあったので、最後の方には喉がやられるほど喋った。旧友は話しを遮ることなく終始、聞き役に徹してくれたことがありがたかった。そして、自分の話しから考えたり、質問したりしてくれることが嬉しくもあり、その関係性に飢えていたことを自覚できた。このブログにしても誰かに自分の考えを理解して欲しい、自己存在欲求があったのだと思うし、その自己存在欲求がなかったのなら、それこそ例の祭りであって、客観的に見て無意味な活動というか、無駄な活動ではある。その無駄とも思える活動が人生なのである。
足立の家を出て戻ってくるまで48時間。たった2日間であったが、思い出作りという意味においては十分な時間を過ごせた。人生の充電を感じた。山形はまさに川端康成の雪国であったが、東北の首都仙台は全く雪が存在しておらず、ただ寒いアスファルトが露呈していた。スタッドレスのゴムが減るから嫌だなと雪を渇望していたが、あの完全アイスバーンの車の滑りを経験すると、なんて走りやすい路面なんだと嬉しくなる。人間というか、俺は本当に勝手な生き物であるなと自覚する。店舗は閉鎖されたテナントもあって、地場産業ながら継続している菓子店、醤油屋に改めて継続の叡智を感じる旅であった。また思いついたら行こう。それが自営業者の特権であるから。