奇才 成田悠輔

diary person

ようやく僕のところに奇才・成田悠輔が届いた。youtubeでのオススメで見ることになった。鋭い指摘と頭のいい切り口トークに一瞬で魅了された。この頭のいい人のトークで震撼させられた人物は過去に二人ほどいる。脳機能学者の苫米地英人と解剖学者の養老孟司である。共に哲学的、俯瞰的発言に新しい世界が垣間見えた感覚が非常に新鮮だった記憶がある。同じようにこの成田悠輔の発言に新しい光を見出し、改めて頭のいい人の話しは実に面白いと感嘆した。

一度ハマると徹底的に盲目になるので彼の動画を見続けた。天才から見た景色の鋭い言語変換能力で、その真実に気づかされた。彼の発言を聞くとひろゆき、ホリエモンの発言が陳腐に聞こえる。もちろん彼らも並ならぬ知性を持っているが。

調べると親父さんはすこぶる高い知性の持ち主で、その影響から遺伝的に高性能脳を発揮しているのだとは思うが、自分の意見を聞いてもらおうと思わないとか、人から見た自分の尺度など、どうでもいいとか、天才ならではの奇才が随所に見られるが、あくまでも常識的な部分も持ち合わせていて、声の通る人のいい学者に見える。この見た目と爽やかな語り口、そして俯瞰された言葉に凡人との大きな隔たりに圧倒される快感が読者の共感を生むのであろう。もちろん、僕は肯定的に思えるが、巷に跋扈する頭の悪い人間は短略的に彼を批判するものも多数いる。

メガネが壊れたのでメガネ屋で「アイディアの降ってくるメガネはないか?」という問いに「これなんかどうですか?」と店員が応じ、そのまま看板である左右非対称なメガネが彼のトレードマークになっている。奇抜さも感じるが、誰にどう思われようと全く構わない姿勢と他人に全く興味がない生き方が、その逆に目立つメガネをかけているのだと単純に思う。半ば悟りを開いた人とも言えるか。悟りでは生きていて一度も喜怒哀楽の怒を発揮したことのない生き方も驚嘆に値するエピソードではある。彼の実の弟も「仏」と兄を称したとこにもその凄さが分かる。一度も怒を体現せず、ひたすら親から譲り受けた知能を発揮し、黙々と研究し、学者になり、今はその知性をお茶の間に届けている。

全くというか短期的には全然儲からない研究に没頭する姿勢は補助金や企業スポンサーのつく拝金学者とは一線を隔てている稀に見る学者で内田樹のいう本物の学者であろう。裏を返せばこういった学者にしか本物の成果は出せない。拝金主義の研究ではスポンサーが有利になるデータを捏造し発表するのが当たり前になっているから。そして、若者向けの動画では、20代では一日16時間ほど研究、論文読破、論文作りに没頭したところがあり、その一時、寝食忘れて没頭することが将来、自分の基礎体力、経験、知恵になると語っていたとこは非常に納得できるとこである。

しばらくは彼の動画を追い続けようと思う。天才にありがちな人格崩壊、他人はクズ思想がないのが彼のいいとこではある。仮に心の底では思っていてもそれを表情に表さない姿勢が好感を持たれているのであろう。まぁ、他人の視線などどうでもいい境地に達していれば、そんなことは気にしないか。非常に頭のいい人の鋭い切れ味、そして40歳前の若い学者である見た目と語り口がみんな新鮮なんだろうな。