地獄の黙示録
久しぶりにこの映画を見返してみた。上演日は1979年で当時小学生だった小生は、ドアーズのジ・エンド、ワーグナーのワルキューレの騎行の甘美なる楽曲に非日常の戦争シーンが脳裏に焼きつき、子供心ながら映像美というか、ヘリコプター攻撃シーンは胸に突き刺さっている。なんて言うか、強烈な映像による洗脳とも言えるか。
当時は生首、死体が散乱された映像は悲惨を通り越した衝撃であったし、ストーリーよりも映像に心動かされていた。強烈体験である。それから数年たち見て、そして43年後大人として、しっかり内容を観てみた。4Kによるデジタルリマスターをしただけあり、とても43年前の映像には見えない綺麗な映画であった。
戦争中、ある指揮官が暴走しそれを抹殺するという過程を主人公を通して見せる。CGなどない時代であるので、よく撮影されていると感心はする。
その米ソ対決の冷戦の裏であるベトナム戦争であるが、調べたら10年間も戦争していて泥沼のゲリラ戦であったのだろうと想像できる。アフガニスタンのソ連軍進行も同じである。
そこで新しい視点というか、ある程度年齢を重ねたせいである知識と洞察がこの戦争の台本である、今のウクライナ戦争にオーバーラップした。違うのはウクライナ紛争だけが、DS vs ナショナリズムの戦いという舞台裏がある。それ以外の戦争は共産主義VS資本主義とか枢軸国VS連合国とか名前は違えど、武器、資本を提供していたのはどちらもDSであり、戦争を儲ける手段として、国民は虫ケラごとき翻弄されただけである。そして最前線で死に直面する兵士、市民の裏側で綺麗な部屋で優雅に食事するアングロサクソンレプティリアンの最上級民たちがシナリオ通り進んでいるか確認する茶番である。
そんな狂気をベトナム戦争を通じてフランシス・フォード・コッポラは暗に伝えた映画であった。