井上尚弥 VS アフダマリエフ
普段なら試合日程が決まれば手帳にメモし井上尚弥戦はチェックしてきた自分であったが、今回は試合前日で内容を知ることになった。井上熱が多少冷めたのかもしれない。
何だろう?何回か試合を見返してみたが純粋な男同士の拳の交わりに感銘を受けた。ボクシングという殴り合いのスポーツにグローブで殴り合う純粋な男の生き様に。なぁなぁと生きてる自分の生き方との対比により感動を受けた。
井上の圧倒的なスタミナとそしてスピードに、破壊力だけをクローズアップされるモンスターという称号に別の意味も含まれていたんだと改めて試合を見て素人ながらに感じた。拳のスピードに関しては僕の勝手な解釈では普通の若者は一小節に8分音符で刻む感じで、1インタバールに8回のストレートが打てる。対戦者のアフダマリエフはプロボクサーなので16分音符刻みで1インターバルに16回のストレートが繰り出される。それに対して井上尚弥のストレートはそのプロの1.5倍である6連符、24回のストレートが繰り出される感じがした。要は1.5倍の速さである。そしてオフェンスからのディフェンスも半端なく速く戻り、アフダマリエフの拳が宙を裂き、空振りの連続である。当てられては空振りを繰り返す井上の攻撃守りにさすがのアフダマリエフも終盤では何を仕掛ければいいのだろうという迷いと多少の戦意喪失感が漂っていた。全く歯がたたないという感覚に近い。ポイントを奪われている終盤で勝つには必殺の急所カウンターで仕留めるしかない。しかし簡単にカウンター場面はなく、進めば当てられ消耗、削られ、深追いすれば自分がやられる。慎重に模索するしかなく、その間もパンチを受ける。多分、アフダマリエフが今までのボクシング人生で最も戦意を失った試合であったのだと感じた。どの攻撃も無力化させられる、井上尚弥というボクシング史上最高の天才が完膚なきまでに叩きのめした判定勝ちであった。それでも最終12ラウンドでは井上尚弥の汗か唾液かよく分からないが、飛び散り最後まで戦う姿勢を見せたとこに男としてのプライドがあり、試合後ノーサイドで称え合う男同士の抱擁がスポーツの良さだと感じた。
最近の試合では直接見ていないが、倒れた選手が試合後亡くなるケースも耳にする。しかし、男というものはどこかで命の懸かる瞬間が楽しいという生き物である。自分の限界というか生か死かという選択を迫られるのも本能的に楽しいと思ってしまう。自分も車の運転でたまに感じるとこがある。そこまでのスピードでコーナーに突っ込まなくてもいい場面で車の限界と自分のドライビングを試したくなる瞬間がある。まぁボクシングと比べれば命のあるなしは遥に車の運転の方が危険度は低いが、それでも廃車というリスクを犯したくなる。
ある意味、男にとっては臨界点は快感なのである。そこが「全ての男は消耗品である」という30年以上前の村上龍が命名したとこに繋がる。男は死んでなんぼのもんである。そんな自分とは違う生き様に女は濡れる。