マスクと日本社会

diary social

マスクをした為の感染拡大はしてない場合の18倍に達するとの報告が出た。要は感染を防ぐ為のマスクがかえって感染を促しているという報告である。前のブログでも幾度となく書いたが、コロナウィルスの大きさは非常に小さく、コロナウィルスを1cmの角砂糖とするとマスクの網の大きさは1m以上ある。どんな繊細なマスクをしたとしても。

ではどうしてマスクをすると感染拡大するのか?コロナウィルスは物の表面に付着しそれを手などで鼻、口元に運ぶ。そして粘膜を通して広がっていく。実際、感染病棟の医者、看護婦のマスクは1時間置きに捨てられ、新しいものを付けている。これは何故か?マスクにウィルスが付着している危険性を回避する為である。

多分、99.99%の日本人はこういった事実を知らず、テレビウィルスのひどい洗脳に頭がやられ、日々マスクをし、マスクをする正義というか空気に従順する大人しい人がほとんどの日本人であろう。それに対して僕はマスクをしないとサービスを受けられない施設(空港、トレーニングセンター、ユニクロなど)では仕方なくマスクをして入港なり入店している。警察署の前を堂々と非常事態宣言下でもマスクをせず通行しているが何人もの警察官から「マスクをしなさい」という忠告はない。それは当たり前で、マスクをしなければならない法律はない。よって法律に抵触していない者に注意することはできない。まぁ、埼玉県の狭山署が免許更新の際、マスク不着用者の更新をしないという一例を除けば。

この1年、マスクをせず街中、電車に乗り、いつでも自粛警察の洗礼を受ける準備をして行動していたが1度も静止させられ説教を垂れられたことはない。これは単に俺自身が太々しいオヤジであり、逆ギレされたくないであろう人情がそうさせてるのかと思っていたが、最近、その奥の心情を察することができた。

日本人は政治家、一般庶民までがまるでリスクを取りたがらない習性であることに気がついた。そしてリスク側にいるよりもノーリスク側にいることの方が遥かに楽で簡単であるという心情である。よってリスクを取りたがらない人間が俺のような無法者に対する攻撃というか意見も言うはずがないという結論に至った。俺も当然、いつも外で構えて歩いている。それは日本社会に蔓延する空気を無視することによる他者の目であったり行動に対して。そして、その自分の哲学を貫く努力より、無意味なマスクをしている方がはるかに重圧もなく生きやすい。そのことを空港、ユニクロで学んだ。正直、一瞬マスクをすれば疎外感から解放される場を得た。俺もみんなと一緒という連帯感。

よって、あえてマスクを付けないで行動するということはある意味勇気ある行動なのである。ほとんどの日本人がこの勇気は持ち合わせていない。だからその勇気すら持ち合わせていない人間が身体を張った俺に意見できる訳が無い。

別に俺の行動を真似ろと言ってるわけではない。この日本人コミュニティで健やかに生きるにはマスクは必修である。

これはその人に哲学があるかないかの差である。もちろん、その哲学に到達できず日々暮らしを守るために行動している人が大部分であろう。

公園で遊んでいる子供たちが非常に気の毒である。彼らは親、先生、世の中の空気には逆らえない弱者であり、真実が届かない。そして、この1年マスクを完全にしたことによる酸素不足が後に脳に障害を負うリスクを増大させていることに本人はもちろん親も気付いていない。

去年の2月に出された東京都感染症医師会の発表は、「コロナは普通のインフルエンザより感染力が弱く、毒性は普通のインフルエンザとほぼ同等以下である」そのホームページも政府の圧力により封鎖されている。そして、40万人は死ぬと予言した北海道大学のポンコツ利権野郎教授西浦博は京都大学に栄転し、「よくぞ世の中に恐怖を広めてくれた」と称賛されるだけである。必ず、彼の口座を調べれば、その嘘のステートメントの見返りに多額な賄賂をもらっている事は火を見るより明らか。

こうした嘘が蔓延し、自分の頭で考えられい地上波を見続けたおバカさんはこのように政府、マスコミ、医師会に操られ、自ら毒入りワクチンを打つことになるのである。合掌。