テレビカメラ

diary scene

昨日の日曜日は幕張メッセに行き、オートサロンを見てきた。欲しい車であったレヴォーグの限定車が発売されるニュースを見聞きし、そこの記事にオートサロンの開催内容があり、衝動的にチケットを購入、観覧する運びとなった。この僕の性格である衝動、すぐ購入というスピード感がいいとこでもあり、銭失いという時もある。

モーターショーは何回か行ったことがあるが、このオートサロンは初めて。幕張メッセ会場9割を占拠し、国内、海外メーカーがこぞって改造車、パーツ、新作を発表する姿を見て、モーターショーのような車メーカーだけより規模が大きな祭典と分かった。自動車産業のお祭りの祭典である。小顔、スタイルのいいコンパニオンが笑顔で対応する姿と一流の車が同じフレームに位置するのを見ると、イイ女とイイ車は絵になると改めて感じた次第。

前置きが長くなったが、この自動車祭典を足早に引き上げ、土日の主戦場である亀有駅ロータリーに付けた。待機車が何台もいると待つ事が人生で一番の苦痛と感じる自分には性に合わず、すぐ流す(適当に走る)のだが、食事を終えて見ると1台もいないので付けてみた。するとコンコンとガラス越しに叩く音が聞こえた。すぐさま、ドアを開けるとカメラを持った青年が話しけて、「タクシードライバーが案内する美味しいお店」の企画をやっているので、応じて頂けませんか?という問い合わせであった。昔の自分では丁重にお断るする場面であったが、五十を過ぎ、半ばなるようになれ的な発想とチャンスは2度と訪れないという直感に従い承諾してみた。ディレクターと名乗る青年とアシスタントの女の子が乗車してきた。共に、小型テレビカメラであるソニーのロゴと家庭ビデオでは絶対にない大口径なレンズがあるビデオカメラを携えて。

特に僕としてはグルメでも何でもないのだが、足立区に引っ越してきて3年で味わった美味しい店として推薦できるお店2店を紹介する運びとなった。普段、お店では注文し料金を払う、普通のことだけをし、特に店長と仲良くなったり話しかけたりする間柄ではないので、突然の訪問取材に相手方がどう反応するのだけが気がかりであったが、商談をまとめるのはテレビ東京のスタッフさんであり、自分ではないのでことの成り行きを見守ることになった。結果、OKとの返事であった。

店でいつも食べるメニューを注文し、普通に食事と話しをするのだが、目の前にカメラがあり、色々と食べ方のやり方もあり、正直美味しく頂いたという感覚はない。ただ、初めてのテレビ取材を受けることになり、その舞台裏を生で体感できるとこは勉強になった。肉にナイフを入れ持ち上げる場面でもいかに美味しく料理されているか何度も角度、動き具合を調整されカメラに収める光景は、まさに美を装飾した風景であった。まぁ、それがテレビ映像ではある。

お店のスタッフ、テレビスタッフ、そして僕が非常に神経質に演じる姿がテレビ映像である。みんな正常バイパスでの行動ではない。その普段やらない奇異な行動様式をカメラに収めるのがテレビ映像であると何となく分かった。まぁ、半分やらせではある。結局、僕が普通に行動したのはタクシーでスタッフを運んでいるとこと、美味しい店の紹介の2点だけである。その他は台本通りに多少の創作を交えながら演じたと言ってもいい。演じること、これがやらせではある。

そういった裏側を実際知り得たのが大きな収穫であろう。結局、移動撮影、食事撮影など8時間の拘束があった。まぁ、もちろんメーターは撮影時も入れっぱなしでタクシー料金としては受け取ったが。放送は二月半ばにあるとか。それでも全国に散らばったディレクターが同じようにいろんな場所でタクシドライバーに案内させていることなので、映像的に面白くなければボツということもある。たかが5,6分の映像を撮るだけでどれだけの時間とマンパワーを使うのか。僕としてはボツになったらなったで裏側を知り得た事が収穫ではあるし酒の肴にはなる。放送されたらされたで、そんな経験もあるとこれまた酒の肴になる。

WOWOWとYouTubeしか見ない自分にはテレビのバラエティなんて暇なおバカな人たちが見るもので、別世界のものであり、今後、確実にテレビ業界が衰退する中で、テレビの重要性が失われ、テレビスタッフの方々が斜陽していく姿に悲哀を感じるに至ったが、自分のタクシーもいずれAI自動運転が来るのは確実でそのことは自分にも当てはまるんだなという漠然とした思いが取材を通して感じてきた。

とりあえず体感として記してみる。

終始、黒子に徹しカメラを回し続けた女の子の筋トレ風景と彼女の微差力、そして同じく文学を好む趣向性の一致だけがいくばくかの幸福をもたらした。やはりどう転んでも読書をしていない人間との会話はエキサイティングになれない。読書量に裏打ちされた話しは理屈抜きで面白い。その人が感じた経験、解釈、インプットの総量が会話としてアウトプットされるから。