テシ

diary girl youtuber

最近の僕のテレビは放送を映すものではなく、YouTube視聴の専用器になっている。地上波はまず見ない。というか見てると腹が立ってくるので、偏向報道をどのように今、行なっているのか?をチェックする為だけに一瞬映すだけになっている。

いつものように何気にYouTubeを見ていると、左右対称の外人美女が映し出されていた。それがテシである。久しぶりに女性の美しさというか顔だけで惹きつけられる感覚であった。写真家、加納典明が「左右対称の顔は美しい」のセンテンスが思い出され、その文字通りの言葉が蘇ってきた。流暢の日本語を操り、日本語字幕、BGM、編集、カメラワークなど、一つのドキュメンタリーにどれだけの時間と労力を費やして公開しているのか?想像するとその根気に頭が下がる思いである。それでも、どうしても伝えたい情熱が彼女を動かしているのであろう。その動きたい情熱が若さであったり、生きることだったりする。YouTubeが20年前に存在していたのなら、間違いなく僕もその労力のある編集をしても、公開していただろう。もちろん、今から勉強して公開することは出来るだろうが、その情熱が湧いてこない。これが若さであり生きることを放棄しかかっている老化ということなんだと自己正当化して終わる。

他国に魅了される人は前世はその国の人であったような気もする。改めて祖国を離れることによって見える母国はどう映るか?新しい人生で見直す機会を得ているのかも知れない。それにしても、金髪、外人とまるで日本人でない方々が日本を美談として伝えている。当たり前に、この日本の日常を過ごし、当たり前に日本人であると、この一風変わった世界(日本)が実は大変素晴らしいものであることも忘れがちになってくる。その一見素晴らしく見える日本で自殺者が後を絶たないのは、間違いなく政治が著しく悪いということであろう。わざと不幸、負荷を与える政策を日本政府は与えている、国民に。

テシの動画を何本か見たが、本気で外国語を学ぶとはどういうことか?を目の当たりにさせてる。もちろん語学の脳が女性は得意という部分もあるだろうが、あそこまで短期に日本語を習得し発音している姿勢は、四面楚歌的な何が何でも日本語を操ると言った闘志がないと無理な感じがするな。そして、原石であるテシはテシなのだが、冒頭に映ったテシがマジに美しい。「イオナ、君は美しい」過去CMのコピーを拝借し「テシ、君は美しい、マジに」と最大の讃歌を送る。朝まで仕事をし多少ナチュラルハイになった自分にテシの美貌であったり努力は大谷翔平的な頑張りを届けてくれた。同じようにピアノを弾くYouTuberの旋律に感動したことも同時に記しておく。海外ストリートピアノのタクオン君。